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2014.07.25 Friday  | - | - | 

新橋演舞場夜の部 『加賀見山旧錦絵』

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気がついてみれば(当然といえば当然なんだけど)オンナの世界で、情と念と温かさみたいなものがじわじわと攻めてきた。

海老蔵さんの岩藤が想像していたより自然で、美しくて、びっくり。目を閉じて声だけ聞くと「あれたらーっ」というところはあったけれど…。不思議と、余裕のあるベテランの奥女中、という雰囲気が出ていた。背が高くていらして、小柄な時蔵さんや亀治郎さんと向き合うから、自然に見下ろすようになって、優しげに見えたのかも。憎々しいのだけれど、下の者を可愛いと思う余裕があって、だからこそお初を見くびってやられてしまった、ような気がした。

時蔵さんの尾上は、最初の二幕では本当に消え入ってしまいそうで、何だか予想違いだな…と感じていた。それが、見せ場って有るものなのだな、当たり前だけれど。草履打の場の後独りになり、懐紙で髪を拭う流れ。手がふるえ、拭っているのにいつのまにか懐紙を握りしめている。胸の内に色んなものが詰まって息の出口を塞いでいるのだけど、とにかく公の場を去って部屋へ戻らなければならない。鳥屋の奥の暗がりに姿が消えるまで、襖が閉まっても、目を離せない。
私室での場では、ひとつひとつ呼吸を合わせてしまい、息苦しくなるくらい。なにしろ、声を上げて泣くのは手紙を書いている時ただ一度なのだから。死に方はリアル過ぎたけれど、美しかったな。

亀治郎さんのお初は、今ひとつ掴み取れなかった。とても美しくて凛としていたから、それなりの年頃の女性に見えたり。尾上を慕い(ここが間違っているのかも?)、大事に感じるところは少女らしい一途さが見えたり。走り方にも子どもっぽさが抜けなかったり。木原敏江さんの漫画では桃割(だっけ?)に結った本当に子どもだから、そのイメージが強すぎるのかも。まあ、そんなに年が行かない娘だったら、尾上を継ぐのが心配ではあるわけだけれど…。

歌舞伎の表現って、抑えていて美しいのだと何度となく思った。現代劇ならお初が尾上にしがみついて、「自害なんて考えないで!」と叫びそうなところが、忠臣蔵になぞらえての諌めが精一杯の主従関係なのだから(というか、自害するとは予想していなかったのか。岩藤を討ちに行くのではと心配していたので。合ってるかな?)。

3月の、雛祭りを迎えるのがちょっと寂しくなりそうな観劇の帰り道です。
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2008.09.21 Sunday 21:06 | comments(0) | trackbacks(0) | 
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