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もうひとつの、大切な、私忙しくても、悩んでいても。無くしたくない、大切な、私。
もうひとつの世界に住む、大切な、私。 |
九月秀山祭大歌舞伎 その3(昼の部)
[ 伝統 ]
楽しみにしていました〜! どうにか二度目の演目も出てきたので、少し余裕を持って観られるか・・・と思ったのですが、とんでもない。歌舞伎座舞台のパワーに圧倒されました。 今月の筋書、中表紙の松の絵がとても素敵です。 お隣の席に、大向こうのおじいさまが。初めてのことです。特に図っている様子でもないのに、ものすごくいいタイミングで掛けられる。ドキドキして、役者さんよりもその方に拍手をしたくなってしまいました。 大向こうといえば今日はおもしろかったな。『車引』で澤潟屋びいきの方が気前良く掛けていらしたり、上手前方と下手後方の方の声が何度もぴったりと合っていたり。
*1:国立小劇場でお見かけした時、松禄さんは梅王のイメージにぴったりだと思いました。素人考えですが。 *2:三越での春猿さんは、『賀の祝』を待たずに死んでしまうのでは、と思わせる危うさを感じたもので・・・。 *3:自分が悪いのです。 *4:体の前で手を交差させます。桜丸は、低い位置で手を合わせるだけだったようです。 *5:何を見ているんだか、私。 *6:あ、紅葉狩もみていますね。あまり印象にのこっていないかも。
静かな空気の中で
[ かみさま ]
先日行こうかな、と書いていながら行かなかった八幡神社に、お参りしてきました。 お参りと言っても、きちんとした信心があるわけでもなく、かといって特別神頼みしたいことがあったわけでもなく。ただ、「こんにちは〜、お久しぶりで〜す。」そんな気分でした。 家の一本脇に入って神社へ向かう道を歩くと、どこかの家からお香、そしてあちらこちらから金木犀の香りがしてきました。金木犀は秋のある日、突然香りだすんですよね。それも、オレンジの花が開ききっていないから目では気が付かない。 小さい頃住んでいた家とか、お稽古事の先生のおうち近くとか、中学校の下足室とか。金木犀の香りは、いろいろな場面を思い出させます。 鳥居に頭を下げつつくぐると、黒い立派な鶏が出迎えてくれました。酉年の元旦に初詣に来たとき、この鶏を見て「あ〜、酉年だな。」と思ったのを覚えています。だからと言ってここには毎年、干支の動物がいるというわけでは・・・いたら大変ですね。虎とか、辰・・・!? 手水を使おうとしたら、他に女の方が一人。なんだか、昼間に八幡様で人に会うって、不思議な感じがします。最近、健康に良いかしら、と思って意識して左右逆の生活をしているので、手水の作法も左右逆にしかけて一人で首をかしげてしまいました^^; 体が覚えているものって・・・だめなんですね。 お参りの後は、ふだん足を踏み入れたことのない神殿の裏側*1や、小さなお社(お稲荷さんとか)をゆっくりと回ってみました。隣が幼稚園だというのに、そこから響いてくる子ども達の声さえ遠くに聞こえるような、静かな、しずかな空間に思えました。樹と土の神様がおられるな〜、包まれているな〜、そんな気持ちでいっぱいになりました。 今はほとんど使われていないだろう神楽舞台や、先日のお祭に使われたお神輿の蔵などなど。今まで知っていたよりずっと広いので驚きました。 このブログで”かみさま”のカテゴリを選ぶ時、私は教会の話をすることが多いのですが、私にとってたったひとりの神様がいるというつもりでは、実はないのです。教会のような石の建物の中ではそれにふさわしい何かを感じるし、森の中では森の気配を感じる。・・・というより、そうでありたいと思っています。 タイトルにした「もうひとつの、たいせつな、私」の”もうひとつ”とは、そんな、感じられるものを感じ、受け入れる、といった自然体の私を求める気持ちが、根幹にあります。普段、意識して手を伸ばさなければ欲しいものが手に入らない生活の中で、自分を捻じ曲げずに受け入れるような気持ち。私にとって”かみさま”とは、そんな私に何かを与えて・・・う〜ん、違うな、言ってみれば”投げ込んで”下さるような、そんな存在です。
山吹の実
[ 見つけたもの(写真) ]
山吹の実です。山吹は春〜初夏の花だったと思いますが、いまだにあちこちで咲いているのを見かけます。そんな中、八幡様で見つけたこの株には、かわいらしい実ができていました。がくが開いていて、これもなんだかお花が咲いているみたいですね。
お祭り
[ 伝統 ]
今日から、私の住んでいる地域では八幡様の例大祭が始まります。我が家から歩いて20分ほどのところにある小さな八幡神社なのですが地域は広くて、私が知っているだけでも4つ以上の町があります。なので、今日はあちこちでお神輿巡行があったようです。 私はこのお神輿巡行が大好きです。特に子ども神輿が通るともう、居ても立ってもいられなくなります。と言っても通りに出て行くわけではなく、ベランダから身を乗り出して応援するだけなのですが・・・。 今日は残念ながら外出してしまい、私の町の子ども神輿は見ることができませんでした。その代わり、と言っていいのでしょうか。バスで、隣の町の巡行に行き会いました。後ろから、お神輿や山車に参加していない子どもたちが追っかけているのがなんともほほえましく感じられました。 私は子ども時代、いわゆる”ニュータウン”を転々転、としてきました。いつも新しい町、新しい人たちの集まりだったので、町内会のようなもの子ども会もなかったように思います。そのため、地域のお祭りや伝統行事がなく、なんとなく淋しい思いをしていました。 今住んでいる所はわりと古い町ではありますが、建物が少し町外れになってしまうこともあり、相変わらず町内とは関わっていないように思います。隣近所づきあいには大変なものもあるかもしれませんが、うらやましく感じます。 それはともかく、明日は大人のお神輿巡行があるはずです。それを楽しみに、それから、八幡様にも行ってみようかとふと思い立ちました。
秀山祭九月大歌舞伎 その2(夜の部)
[ 伝統 ]
またまた午後の用事が早く(といっても予想の範囲内)終わったので、夜の部の『籠釣瓶』と『紅葉狩』の幕見に走りました。スーツにパンプス、身体も精神的にもキツかったけれど、思い切り発散できる、華やかで気持ちのいい舞台でした。観ていて発散できるかどうかって、物語の中身とは必ずしも関係しないのですね。
幕間に席を立ち、戻ると背後から「あ〜」という赤ちゃんの声が。外国人のお客さんが、まだ半年くらいのお子さんを連れて来ていたのですね。『紅葉狩』の最後まで、時々声を出しながらも楽しんでいたようでした♪ もちろん記憶には残らないだろうけれど、あの派手やかな舞台が、あの赤ちゃんの感性のどこかに影響を与えるかもしれませんね。
どちらも、チャンスがあればもう一度でも観たい、いえ、全身で感じたい舞台でした。 来週は、やっと予定していた昼の部。手習鑑の二幕が、とっても楽しみです。 *1:着替えを見て楽しむって、アヤシイ言い方ですね。帯の扱いなど参考になることが多くあるのです。 *2:違ったら、大変な失礼をいたしました。 *3:栄之丞の前では、どんな女なんだろう・・・? *4:6年近く前にお能の勉強会で習った、唯一知っている表紙の種類です^^; *5:また言っているよ、と笑ってください。 *6:彼に”さん”づけは苦しい・・・。
Pan doktr
[ 平和 ]
加藤剛さん、俳優座演じる『コルチャック』の朗読劇に行って参りました。数年前に、舞台があったと思うのですが行く機会がありませんでした。今回は二週間前に公演のことを知り、その数日後に偶然、大学の恩師からお知らせをいただいたので、迷わず行くことにしました。 会場は東京・上野の国立博物館内。以前、川田知子さんの演奏を聴きに行った場所で、あそこで演劇? と不思議に思っていたら朗読劇だったわけです。 朗読劇と言ってもかなり動きがあるもの。オペラや歌舞伎といった様式的な演技をする舞台を多く観ている私の目には、小さな空間に大きな感情を表わす演技がとても新鮮でした。 『コルチャック先生』、これは一度は触れておかなくてはならないと思いつつ今迄きてしまっていました。
これが知られている、そして私も知っていたコルチャック先生の姿だ。今回の舞台ではナチスから子どもたちを守ろう、とか自分の身を犠牲にして、という部分よりも教育家としての優しい姿が心に残りました。加藤さんの笑顔が又、優しいのですね。最後のほうで弱いスポットになったときは、ヨーロッパ人の老紳士が立っているようにさえ見えました。
恐怖や孤独にふるえていた小さな子どもたちがいたことを。彼らの中でほんの一握りだけれど、暖かい愛情に包まれた幸せな子どもたちがいたことを。哀しみと、喜びをもって思い返してみる。
落語ブーム
[ その他 ]
空前の落語ブーム・・・なのだそうです。ご存知でしたか? 先日、とある試験を受けてきました(って、同じものを受けた方や関係者がいらしたらばれちゃう・・・ま、いいや)。その問題のひとつが、”落語ブーム”に関するもので。よく覚えていないのですが、「歌舞伎と違って世襲制ではない」「女性の真打も誕生している」などなど5つの選択肢から間違いを探す、というもの。つい、頬が緩んでしまいました。 はい、正解はわかりませんでした。自分がどれを選んだのかも、記憶にありません。 もう一つ、試験だというのを忘れて楽しんでしまった問題がありました。それは、江戸時代を舞台にした小説などの登場人物(架空)と実在の人物を組み合わせる、というもの。私は黄門様も新撰組も忠臣蔵も真面目に読んだことはないので焦りました。ところがその中に「由井正雪」「丸橋忠弥」の名が! なんだかもうどなたかが応援してくださっているような気がして、落ち着いて間違い探しをすることができました。 あ、正解は、「天草四郎」が「徳川吉宗」と同じ時代に区分されていた間違いね。なんだ、実在の人物で判断できたんだ・・・。
彼にしかできない事
[ その他 ]
遅ればせながら、ですが、8日に放映された「Dのゲキジョー」を見て*1、思ったことです。 なにしろバラエティー番組を見るのなんて年に数回なので、変な番組ではないかな、飽きちゃうかもしれないな、ご飯を食べながらで咽ちゃったらどうしよう、とか両親の前で泣いちゃったら/笑っちゃたらどうしよう、とか。 でも、そんな心配御無用の、いい雰囲気の番組でした。 番組の流れや内容についてはyayaさん、はるきさん、せいかさん、春華さん、ミンミンさん等何人かの方が記事を書いていらっしゃいます。 例によって目や耳が捉えた細かいこと
ものすごく楽しくて、いい番組だったと思う。細かい内容に突っ込んだらキリがない。とにかく、もっともっと見ていたいと思うような、感じのいいスタジオ・番組構成だった。どうしてもスッキリいかないところはたぶん、“主役にまで上り詰めた”サクセスストーリー仕立てにしてしまっているから、居心地が悪いのだろう。 予告MOVIEにあった「私って言って長いですから。」の場面と、亀姫の映像が全く(亀姫は鬘のところだけ・・・)流れなかったのは、ちょっと反則だと思います、フジテレビさん。 勝手につらつら思ったこと
見終わって、興奮して寝付けないままにふと思いついたのがタイトルの通り、”彼にしかできない事”について。偉そうな話になってしまったらお許しください。 歌舞伎のためなのか? 個人のためなのか? 今年に入って春猿さんに“再会”した時、バラエティーの話などを知ってそんな念を持った。疑問を持ちつつ、何を目指している方なのかとっても興味がわいた。筋書きのインタビューを読む度に、なぜだかわからないけれど「この人(ニンゲン)から目を離してはいけない。」そんな気になった。 何を目指している人なのか。それは、彼にしかできない事、mission(使命?)とでも言おうか、そんなものにつながる気がする。そして春猿さんのそれは、「歌舞伎をみんなが楽しめる物に」という猿之助さんの精神を確実に受け継いだものであるのだと思う。そのためにどうするのか。現在“市川春猿”という名前を持っている一人のニンゲンを売ってでも、歌舞伎を残していく。そんな方法がある。 芸を伝えることなどは、そのかなり多くを家に生まれた役者が負うだろう。それに対して、どんな可能性でもあった彼だから、それでも歌舞伎役者になることしか考えなかった彼だから、容姿に恵まれた彼だから、人との付き合いに優れた彼だから*6。それらを生かして何ができるかを考えた時に、今の活動があるのではないだろうか。 今の活動って何? とか、どんな方法で? とか目指すものは? といったものは、ご本人にしかわからないことだと思います、もちろん。 春猿さんに限った事ではないですけれどね。たぶん誰にでもその人にしかできない事がある。missionがある。 私は、そう信じているのです。 *1:どうでもいいことですが、「テレビを拝見する」と書いている方がわりといて、何とはなしに違和感があります。上手く説明できないのがお恥ずかしいところ。 *2:・・・ん? なんで“憂い”なんだ? *3:わりと落ち着きない? *4:お稲荷さんも神社だからね。 *5:だけじゃないね。周りの方たち。 *6:努力などは置いておいて。
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