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もうひとつの、大切な、私忙しくても、悩んでいても。無くしたくない、大切な、私。
もうひとつの世界に住む、大切な、私。 |
胸が締め付けられるって、こういうこと
[ 平和 ]
(ジャケット:ビクター公式ページより)→ やっとのことで、手に入れました。 6月25日に吉永小百合さんによる朗読会がありました。別の予定があって私は行けなかった。ので、早くCDで聞きたかったのです。 ?いつもながら男鹿さんの絵はすばらしい。けれど海の絵を拝見するのは初めての気がします。冊子の裏表紙に描かれた波打ち際の風景は(残念ながらアップできませんが)、たぶんそこに人が住み始める前から、住んでからも、戦いの時も、今も変わっていないのだろうな、と想像させます。 ?朝、部屋を片付けながら一回目。玄関で靴を磨きながら二回目。そのどちらの時も、”あの”場面では手を止めずには居られませんでした。大事にしていた卵が命に変わる時。。。とてもとてもとても悲しくて、言葉ひとつひとつに動きを止めて聞き入ります。 ?どこかで書いたかもしれない、「人間以外にとっての戦争って?」 でも感じたこと。最近よく「他者に対する想像力の欠如」という言葉を耳にするけれど、果たして”他者”としてどこまで意識しているのかな? 「わすれていてごめんね」の夾竹桃たちだって、「ウミガメと少年」のウミガメだって、”自分”に対しては”他者”なんだよね。 ?自分の立場が変わってきたのを感じます。なんというか、"母"のような目でいろいろなものを見ることが多くなってきたような。私は母でもなくそんな予定もないのですが。まあ、これについてはまた別項目で書こうかな。とにかくこの物語を聞いていても、少年よりはウミガメの母親に感情移入したり。もしくは客観的に、つまり少年を見守っている気分で聞いていたり。 これまでの「第二楽章」に比べて当事者の言葉ではないことも、理由の一つかもしれません。 『第二楽章』・・・詳しくは2005年8月の記事へ。(http://d.hatena.ne.jp/ayameusui/20050806)
浴衣ライフ二日目
[ その他 ]
今日は朝から着てみました。 残念ながら、暑い・・・。身幅がちょうどなので着付けは楽なのですが、その分ついつい襟をきつくしてしまうのですね。でもちょっと、コツはつかめたかも。 扇風機をかけながら机に向かううち、いつの間にかうたた寝。汗だくになってしまいました。
今日の一句
[ Blogpetみいる ]
こんにちは。 以前に”詠んで”くれたものと2つ。ご紹介します。 「市川春猿栄えする」(6月23日) これは俳句(川柳)ではないですけれど。よくぞ覚えてくれた、と思ったので。 「あの浴衣 観劇しては プログラム」(6月30日) う〜ん。まだちょっと・・・かな? 最近は[伝統]ネタが多いので。少し別のことも書きたいなどと思っています。
出会い
[ 伝統 ]
こんばんは。 本屋で偶然、こんな物を見つけました。
ぱらっとめくってみると、これまた偶然、この間観劇した『女殺油地獄』の二幕目が目に入ったので、思わず立ち読み。これが、短いコマの中に思い出深い(!)台詞がきっちりと収められているのです。ついつい、役者さんたちの声を思い出しながら一幕から大詰めまで読みきってしまいました(立ち読みです。ゴメンナサイ)。 思えば私が歌舞伎にはまったのも、マンガがきっかけだったのでしょう。
そうそう、これこれ。懐かしいなぁ。 『白波五人男』の「問われて名乗るも・・・」とか、『車引(菅原伝授手習鑑)』の「エエィ。轍にかけても轢き殺せぃ」とかここで覚えた。桜姫やお三輪・橘姫や雛鳥・久我乃助にもここで出会った。 歌舞伎に限らず、古典の世界へと足を踏み入れたのはマンガで知ったストーリーに憧れたから、かも知れない。 ・・・ということは、古典には全く理解の無いようなうちの両親、実はマンガを与えるという形で道を作ってくれていたのかしら? そういう点では、感謝しなくては。 『まんがDE歌舞伎』に戻りますが、このいまいかおるさん、歌舞伎や古典文学を題材にずいぶん描いていらっしゃいます。ご本人も舞台がお好きなんでしょうね、きっと。 実際に舞台を観にいかなくちゃ、なんて言うつもりは無いけれど、行ったからこそわかる雰囲気や間がある。お芝居が演じられているその空間にいて、登場人物たちと時間を共有できる幸せ。大切にしたい。
めざせ、浴衣ライフ!
[ その他 ]
…というわけで、7月を目前にして、家にいる時間は浴衣に慣れようという試み。 中学生の頃に買ってもらった物なので、短め。そして思ったより、快適。 普段着にはもったいないけど、10年以上もよそ行きとして頑張ってくれた。これからはたくさん着るからね。
誰かに似た人
[ 子ども ]
こんばんは。湿気が少なく、いい夜です。 二日ほど前のことになるのだが、4つ隣の駅まで行き、スーパーに入ったときの事。 ふとレジの横を見ると、買ったものを袋に詰める若い女性と、ベビーカーに乗せられた赤ちゃん。 ぱっちり・・・を通り越してまるで何かに驚いたような、そして少し離れ気味な目。何に夢中になっているのか開かれた口。なんて可愛い! しかし、、、う〜ん、どこかで見たことが・・・。 そして思い当たったのが、3歳年下の従弟の顔。といっても当然、彼は既に20歳を越した立派な大人。顔も間延びしてしまって(ゴメン!)可愛いには程遠いのだけれど、子どものころは本当に"愛らし"かった。その子に、顔といい雰囲気といいそっくりだったのだ。 一緒にいた母に「ね、あの子、R君そっくりだよね。」と言うと、しばらく別の子どもを見ている様子・・・だんだんと視線を動かし、「!!!!!」やはり、あまりに似ていたので驚きのあまり笑うしかなかったようだ。 世の中にはそっくりな人が3人はいると言うけれど、「昔の顔に似ている」も含めたらもっといるのではないかな。 ちなみに従弟にそっくりだと言いましたが、その赤ちゃん、男の子だったかどうか・・・?
足の裏のお話
[ 伝統 ]
観劇から3日近くが経ちましたが(22日)、追記です。と言うのも今日、部屋を片付けていたら茶道の師匠からの手紙を読み始めてしまい、ふと思い出したことがあったからです。それは、「茶道のお稽古の時、なぜ白靴下を履くか」というおはなし。 三幕始め、奥の障子を開けるために立て膝になった笑三郎さんの足の裏にはっとしてしまいました。妙な目の付け所でごめんなさい。着物に足袋が当然のように思っていたけれど、室内なのだから裸足でも当然なのですね。もちろんきちんと白粉が塗ってあるのですが、なんとも美しい、そして色っぽい。 上記問いの答えも、それ。「女性の足の裏は色気があるから足袋を履く」のだそうです。洋装でお稽古の時には足袋ではなく靴下ですけれどね。合宿でこの話を伺ったときにはおもしろいな、と思っただけでしたが、舞台を見て、なるほど、納得という感じでした。 (この記事は、20日の投稿から移動したものです。)
夏至
[ その他 ]
今日は6月21日、一年で最も陽が長い日です。生憎のお天気で電気のお世話になってしまっているけれど、中庭で小学生たちがまだ遊んでいる声を聞くと、太陽の恵みに感謝、という感じです。 ところで・・・冬至には南瓜(かぼちゃ)を食べて柚子湯に入りますが、夏至にはそういう行事は無いのでしょうか? 母に「西瓜(すいか)か胡瓜(きゅうり)食べようよ。」と提案してみたのですが、一笑に付されました。
三越歌舞伎 その3
[ 伝統 ]
明日はとうとう千秋楽。舞台の成功と、関係者の方々の幸せをお祈りしています。 桜と、松と、梅。折鶴で表現してみました。羽ばたけ、はばたけ。 さて、観劇レポート、最後です。
おまけ
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