[ - ]
一定期間更新がないため広告を表示しています
もうひとつの、大切な、私忙しくても、悩んでいても。無くしたくない、大切な、私。
もうひとつの世界に住む、大切な、私。 |
六月大歌舞伎昼の部
[ 伝統 ]
一ヶ月半ぶりの歌舞伎座です。どきどきします。
『妹背山婦女庭訓』 どきどきするほど息ぴったりの魁春さん雛鳥と梅玉さん久我之助でした。二日目なのに、これまで培ってきたものが幕開きから発揮されたような感じ。特に、もともと赤っぽいお化粧をなさる魁春さんの顔が、吹き矢筒を使った恋のやり取りが進むに従ってさらに紅潮していくのがなんとも良かった。 釆女をなさった高麗蔵さん、いつもとどこか違うように感じたのは気のせい? 官女のこしらえだったから? というわけでもなさそうです。 花道を戻られる時、爪先から土踏まずから踵まで、計算しつくされて動いているのを目の当たりにしました。 <追記> 2週間が経ちましたが、続きです。思いつくまま、順不同。
前半はあれだけの役者さんが揃っているのに「あれ? 気迫が伝わってこないな・・・。」と不思議だったが、客席を挟んで籐十郎さんと幸四郎さんの両花道でのやり取りからがものすごかった。花道横に座っていると、幸四郎さんの呼吸を一かけらも聞き取り逃すまいとする籐十郎さんの集中力が伝わってくる。耳に手を当てる演技をなさっている幸四郎さんもきっと、同じだったのだと思う。
そして、双方の子どもが死んだことを知る場面。壁を挟んでお互いの姿が見えていないのに、動きから形から表情から息遣いまで、ぴったり同じ。これが役者というものなのですね。客席も、沸くような拍手。 籐十郎さんの、母の心にじ〜んと涙。首を落とすことを決意して雛鳥をほめ、抱きしめる場面。そして何と言っても雛鳥の首に死に化粧をする場面。溶いた紅を引いて、手拭を湿して押さえて・・・。「気丈だな、こんな場面でも泣き伏さないんだな。」と思った瞬間に首を抱きしめて、身もだえして声を上げます。この場面のためにそこまで感情を抑えた演技だったのだな、と。 筋書で、久我之助の死を知る場面と死化粧の場面について話しておられますね。 Comment
Trackback
{/heratss_blue/}
「妹背山婦女庭訓」のこれまで全く観ていない《小松原》〜《吉野川》を初めて観ることができた。両花道がかかってその間を吉野川に見立てるここの場面をずっと観たくて仕方がなかった。写真は、歌舞伎座キャンディ缶の「吉野川」デザイン。今月の企画
| ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記 | 2007/06/15 12:34 AM |
|
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
|
私も6/10に昼の部を観てきました。ずっと観たかった「吉野川」を前段から通して観ることができてよかったです。やはり前段があったので「吉野川」の悲劇性が高まったように思いました。
「小松原」で官女の拵えの高麗蔵さんはキリっとしていてよかった。キリッとする女方はハマリますね。
>息ぴったりの魁春さん雛鳥と梅玉さん久我之助
吹き矢筒を囁き竹にしてという腰元たちの縁結びはなかなか可愛い場面でした。そのふたりの腰元が「吉野川」でも大きな役割を果たすんですね。やはり前段があるのはいいです。
「吉野川」の両花道を使った川をはさんでの舞台に見とれ、幸四郎・藤十郎も加わった4人の芝居に見とれ、両床の竹本に聞き惚れて......しっかり泣かせていただきました。
TBもさせていただきました(^O^)/