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もうひとつの、大切な、私忙しくても、悩んでいても。無くしたくない、大切な、私。
もうひとつの世界に住む、大切な、私。 |
やったね、紅白〓
[ しあわせ ]
中村中さん、紅白出場です。夜のニュースをなにげなく眺めていて、映像の後ろの方に姿を発見。すぐに、NHKのホームページに駆け付け(?)ました。
すでにいろいろと取り上げられています。人気が出るのでしょうね〜。 セカンドアルバムが届きましたが、まだ聴く時間なし。週末が待ちきれません〓
Radiogenicリーディング・スペクタクル『下町日和』
[ しあわせ ]
何だかあわただしく、緊張した気分で会場に入る。銀座、という場所のせいもあるのだろうか、悪い意味で落ち着かない。開場し、ロビーから客席に続く扉を入った瞬間、不思議な音と暗闇に包まれた。はっ、とした。ああ、この世界だ。昨年、不思議な星の、宇宙の世界に私を引き込んだあの世界が、再び繰り広げられるんだ。そこからは一転、厳かな気分になって物語の始まりに気持ちを集中させていく(私は観客で、演じる側ではないのにね、おかしいですね)。
今年は配布資料のようなものはなかったので、初めてのお客さんには各章のタイトルや登場人物たちの生い立ちなどがわからない状態での幕開きになっていたはず。それも、いいかも。だって、どれも彼らの語りの中で明かされていくのだから。 (このレポートは、昨年の章立てにあわせて書いていきます。) 服装は・・・ 春猿さん:白いふわっとしたブラウスに薄くピンクがかったストールのようなもの。たぶん、昨年と同じです。“聖夜のリボン”の時だけ細くねじっていたけれど、他の章では首にさっと掛けただけ、という形。下は黒の細身に、白いヒールのある靴。靴下も白だったようだけれど、途中で取替えられた? 茶色い紙をすっきりと整えた姿に優しさを感じる。洗練されたこの姿に“いるかいないかわからない”絹江ちゃんを想像するのは、やはり目を瞑らないと難しい。 右近さん:細かいチェックのシャツに袖をひじまでまくり上げた姿、これもおそらく、昨年と同じ。靴は春猿さんのものとおそろい? とまでいかなくてもとても似たもので、布でできているのかな? と思った。足音を抑えるためでしょうか。あ、でも、段治郎さんは革靴のようでしたね。いつもながら短く切りそろえた髪型を見ると・・・お若いですね! 二十代後半くらい? の徹が無理なく想像できる。・・・・・・いえ、きっと、徹はこんなに素敵な男性ではないはずなのです。どこにでもいる、ふつうの、そんな男性を想像するのはやっぱり難しい、かな? 段治郎さん:女優さんに気を取られてあまり覚えていないのですが。ちょっと不思議な髪型(上手く説明できないのですが)だったことだけはなんとか・・・。そういえば、段治郎さんと高橋かおりさんは左足を上にした組み方でした。宝生舞さんはぴちっときれいにそろえていらしたと思います。
お祭り&花火
[ しあわせ ]
七月も終わりに近付くと、お祭りの日が気になってそわそわし出す。そして、母に尋ねる。
「おばあちゃんちのお祭り、いつ?」 祖母の家のお祭りではないのに、そしてもう大人になっておばあちゃんちも何もあったものではないのに、尋ねずにはいられない。どうしても、落ち着かない。 ここ数年、日程が合わずに行くことができなかったが、今年は仕事先から直接、浴衣を抱えて祖母の家へ。何しろ今年は、町のお祭りと市の花火大会が重なっている。うきうき気分も2倍になる。 途中、子ども神輿に出会い、どうにもがまんができなくなって道を2本早く曲がって見送る。遠回りだとわかっているのにね。 一息ついたらさっそく、試着。新しくて着慣れていないし、今までの子ども用と比べて丈も長いが苦労なく着付けられてびっくり! それでも、おはしょりの始末とか袖の扱いとか帯の角度とか伊達締めの締め方とか・・・母と祖母からの注意は絶えない。 そうこうしている内に、まだ明るい外から打ち上げの音が聞こえてくる。髪を洗って、結って、もう一度着付け。なんだか、仕事着よりずっと涼しくて楽で、気持ちも楽になる。・・・蚊が寄ってくるのはどうにも仕方がないから、今年初の蚊取り線香を焚く。 町の中心へ降りてみると、お神輿に出会う。昼間とは違い、父ぐらいの年代の人たちが汗びっしょり、必死な顔で担いでいる。 そういえば私は新しい町にばかり住んでいるから町内会や子ども会の経験がない。当然、お祭りに参加したりお神輿を担いだ記憶もない。ちょっとうらやましくて、涙が出そうになった。 そんな時、祖母が言った。 「あんたは本当に、小さい頃からお祭りが好きね。出店にも興味がなくて、目を離すとすぐに踊りに行ってしまう。」 えええっ! 驚きだった。私の記憶では、中学生くらいの時に、浴衣を着て従弟妹と踊ったのが最初、それもとても恥ずかしかった気がするのに。 今日はこれから、歌舞伎巡業の楽に出かけます。最後の演目『お祭り』のことを考えるだけで、心が躍ります。
冬らしい
[ しあわせ ]
ほんとに今夜はいい天気…。空気も冷たく澄んでいて、これぞ冬、です。 朝は、陽が射しているな油断して綿のカーディガンを羽織っただけででかけたら、指先がチリチリと痛むほど冷たさを感じました。これにもまた、「ああ、冬だなぁ。」と、季節を感じられる幸せをかみしめるのでした。
清んでいるひととき
[ しあわせ ]
青く清んで、高いたかい空。広い空間があるのを感じる。 木々の葉、枝までもがはっきりと見えて、なんだか心まで清んでいるような気がする。 雲は浮かぶ。空に、貼り付かずにふわりふわりと浮かんでいる。 黄色くなりきらない銀杏の葉から、木漏れ日がさす。 しあわせだなぁ、っと思う散歩道。
会話すること
[ しあわせ ]
近頃、「趣味は何ですか?」「好きなことは?」と訊かれて素直に答えられる自分が、とても嬉しい。「舞台を観ることです。特に歌舞伎。」と、口に出せるのだ。趣味なんてない、夢中になれるものなんてない、と苦しんでいたのを笑い飛ばしたくなる。 9月になると「夏休みはなにをしていた?」という会話のきっかけが多くなる。英語の面接なんかでも必ず出てくる。趣味、とか好きなこと、とか週末にしたことを訊く/答えるのが会話のきっかけであると気付いたのはつい最近のことだ。 趣味がない、といったら確かに嘘になるかもしれない。コンサートにはよく行くし、折り紙を始めれば何時間でも熱中するし、楽器に触るのが好きだし、本は山積みにしてでも読む。靴は自分のだけでは飽き足らずに両親のものまで磨きたくなるし、チェコと名がつくイベントには足を運ぶ。どれも趣味と言えないことはないかもしれない。でもそれらを、胸を張って「趣味です。」とは言えない何かこだわりが、私にはあった。 そのこだわりのひとつに、「どうせ言ってもわかってもらえないだろう。暗いと思われる。また変わったヤツだと思われるんだな。」そんな気持ちがあったように思う。 それでは、歌舞伎ならいいの? それもまた、違うのだ。誰もが(一応、名前だけは)知っている歌舞伎を持ち出すから良いのではなく、話題にすること、大げさに言えば自分の向いている方向をさらけ出すことに意味があるのだ。 歌舞伎が好きだ、と口に出すと変な顔をされることは否定できない。それでも、話題にすることで”会話”が生まれることにやっと気付いた。相手が歌舞伎を知っていようが好きでなかろうが、とにかく声を一度でも二度でも交わすことができればそれでいいのだ。いいのだ・・・? それもちょっと違う気がするけれど、まあ、悪くはないのだ。 昨日、美容院で担当してくださるお姉さん、それから洗髪をしてくれたお兄さん。そのどちらにも夏は歌舞伎をたくさん観た、という話をした。話を仕掛けるこちらはガチガチなのだけれど、お二人とも楽しそうに乗ってくれた。ああ、これが”会話”なんだな、と実感したものだ。 お姉さんは海老蔵さんとか獅堂さんの名前を知っているくらい、お兄さんは以前に一度、国立劇場の鑑賞教室に「行ったことはあるけど演目は覚えていない。」、そんな感じ。それが当然なのだと、思う。それでも「演じる人で、好きな人とかは?」という質問は共通で、ついつい春猿さんの名前を挙げて翌日(今日ですね)のテレビを宣伝してみたり。 以前の私なら、「夜まで仕事をされているから見られないだろうな。宣伝なんかしない方が良い。」と考えて口をつぐんでしまったはずだ。それが、会話の楽しさに乗って、ふと気付けば鏡の中の自分の顔がずいぶん柔らかくなっていた。 ありがとう。お礼を言いたい。これからも、なるべくまっすぐな心で楽しんでいきたいと思う。
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