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もうひとつの、大切な、私忙しくても、悩んでいても。無くしたくない、大切な、私。
もうひとつの世界に住む、大切な、私。 |
りゅーとぴあ能楽堂『マクベス07』
[ その他 ]
今更ですが、残しておきます。本当に書きなぐり状態ですが・・・どうしても、書いておきたい。 いろいろな方のブログで06版がすばらしかったというのを読むたびに残念でなりません。でも、07版のこの舞台も、私にとっては何にも比べることのできないものです。 観劇日:2007年4月3日 仕事着で劇場に駆けつける、というのは初めて。千駄ヶ谷駅から能楽堂に向ううちにだんだんあたりが薄暗くなっていく、というのがなんだか良い。雨が降りそうで降らないのも、また、良い。
この講演には、笑三郎さんがお見えでした。ちょうど、私の席から橋がかりを向くとその視界に入られるのですが。途中から、両手を組んで真剣に舞台に見入る姿が美男だな〜という感じで。どうして、舞台に上がるとあんなに落ち着いた味のある古風な女の人に化けてしまわれるのでしょう??? 本当に不思議です。 *1:笑也さんのブログによると、マクベス夫人は上半身が女形、下半身は男・つまり外輪で演じているのだそう。そこがアンバランスさにつながったのかな? *2:あれ、初めは何を書いていたのでしょう? ご存知の方、教えてください。
なぜか特別な日
[ その他 ]
どうして大晦日はこうも、そわそわした気持ちになるのだろう。いつもと変わらない時間の流れ、日が沈んで昇って、ただそれだけのことなのに。 今年は戌年、年女だったということもあって、なんだか年が明けるのが惜しいような気持ちです。苦しかったような楽しかったような一年、明けたらすべて夢のように消えてしまうのでは、という不思議な気もしています。 来年は”大切な”私をますます大切に、心の美しさを失わずに、目の前の道をまっすぐに走って行きたいと思っています。 まずは、このブログ上でお付き合いくださった皆さまへ。そして、私に歌舞伎を始めとした文化を楽しませてくれる、すべての人へ。どうもありがとうございました。 来年は、もっともっといい年になりますように。
母と日本文化の”テンポ”
[ その他 ]
お正月に、母が着物を着せてくれることになった。正確には、帯を結んでくれることになった。着物を着られることも嬉しいが、母が着せてくれることはもっと嬉しい。というより、母が着せようとしてくれることが嬉しい。 母は、どちらかと言うと日本の文化*1などは”苦手”な人だった。中学校の文化祭で浴衣を着ることになったときも「おばあちゃんに教わって来なさい。」、大学の卒業式でも「私わからないから、必要なものは自分で揃えなさい。」そんな感じだった。それが何がきっかけでだか着付けを習い始め、今では着物を着て仕事をしている。修了式で振袖が着たいと言ったら、着付けの先生に朝早く来ていただけるようお願いまでしてくれた。そして今回はお正月に栄えるような帯結びを習ってきて、ほぼ毎日練習してくれている(モデルの私も疲れるけれど、着付けの練習にもなるから・・・)。 着物や小物をお手入れしたり、色を合わせてみたり、ていねいに着付けをしたり、立ち居振る舞いに気をつけたり。そんな余裕が、母にできてきたのかな、ふとそんな風に思った。私や父のために時間に追われて、わずかな時間を好きな演奏会につぎ込んで(?)、言ってみれば日本の文化は母の生活とテンポが合わずにいたのかもしれない。そんな風に思うと、とっても嬉しい。 考えてみれば私の参加するお茶会にも来てくれたし(あまりに時間がゆっくり流れていて、眠りそうだったと言っていたが)、B反市で一式揃えてくれたり。決して、関心がないわけではなかったのだ。 とは言っても。まだ、歌舞伎やお能やお茶会に誘うと「それはちょっと勘弁して!」と悲鳴を上げられてしまう^^;
信じられなくて、ごめんね
[ その他 ]
いつもなるべく綺麗な心でいようと思うのだけれど、そのためにはかなり自分をガードして生活している、みたい。傷付きたくないからね。 大学時代の友人から2年半ぶりに電話がかかってきたことがある。それは、嬉いことだった。とても仲が良かった、とは言えないが入学して一番にできた友達の一人、一緒に大人になった女性のひとりだから。まだ学生で頭と心をケアするのに精一杯の私には、社会に出て仕事をして、おしゃれな彼女は本当にきらきらして見えた。 けれど、彼女から最初にお誘いを受けた時に私が考えたのは、「何かの営業ではないだろうか」「宗教らしきものの勧誘ではないだろうか」ということだった。彼女がどんなつもりで突然電話をかけてきてくれたのかわからない。学生時代の彼女の行動パターンが思い出せない。それくらい、2年半という年月は大きかったのだ。 今考えるとその懸念は・・・あながち間違いではなかったかもしれない。でも、洋服のお店やお化粧品の講習会に連れて行ってくれたり、傾倒している年上の女性に会わせてくれたり。真実は、わからない。結局どの機会にも乗らなかった私に、今でも事あるごとに声をかけてくれている友人、そんな彼女を信じられない自分が、私はとっても悲しいと思うのだ。
夜空を見上げる
[ その他 ]
朝も暗い内から、元日に発売される予定の中村中さん初アルバム*1の情報を検索していたらば。夏に上演があった『Radiogenic リーディングスペクタクル 優雅な秘密』*2のDVDが発売されるとのこと。 右近さんと春猿さん、段治郎さんの力にぐいぐい引き込まれて、千住さんの音楽に夢を見せられて、そして中村中さんにノックアウトされた、忘れられない舞台。あの時から、一日も欠かさずに時間をとるようになったことがある。それは、夜空を見上げること。 『KONISHIKI』で”12時12分前に必ずベランダに出て来る妖しいおねえさん”に憧れ、”誰か・何か”に出会える気がして、布団に入る前に必ずベランダに出てみるようになった。晴れた日はもちろん、曇の日も雨の日も、雪の日・・・はまだないな。。。冬は、寒いんだけどね。 毎日、落ち着いていろいろ考える時間を作ろう、とか15分だけお稽古事をしよう、というのは難しいけれど、窓を開ける、そして一歩足を踏み出す、それだけのことが四ヶ月経った今ではなくてはならない行動になってきている。不思議だなぁ。
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