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もうひとつの、大切な、私忙しくても、悩んでいても。無くしたくない、大切な、私。
もうひとつの世界に住む、大切な、私。 |
あの日の夜空
[ 平和 ]
今年も、特に何をしたわけではないけれど。「何かをしなくちゃ、思わなくちゃ。」という想いが一日心の中にいた、太平洋戦争終戦の日。日本から、戦争が無くなった日。
夜空を眺めていた。今夜は、雲が低く広がっている。広いわりには薄いのか、雲の向こうに何かの色・光が透けて見える気がした。東京大空襲をモチーフにした合唱曲「遠い秋」から『空襲』を思い出した。 で、ふと考えてみた。62年前、もう爆弾が落ちてくることはない夜空を、日本人は何を考えながら見上げたのだろう。たぶん、見上げるような余裕は無かっただろうと想像するけれど・・・。よく、象徴的に灯火管制が解除されたという話を聞く。街が、空が急に明るくなったはずは決してないことも想像する。どんな空だった? どんな街だった? どんな気持ちだった? なんにしろ、想像してみることだ。そして、子どもたちにも想像することを働きかけたい。 日本人は、と書いてみたけれど、その夜を経験したはずの人たちは周りにたくさんいる。訊いて、聞いておかなくちゃいけない。伝えるためにはいつも、入れる努力をしていかなくちゃいけない。 余談:夜は曇っていましたが、昼間はどうだったっけ・・・? あまりに空気が熱くて、空を見上げることさえしなかったなぁ。
Pan doktr
[ 平和 ]
加藤剛さん、俳優座演じる『コルチャック』の朗読劇に行って参りました。数年前に、舞台があったと思うのですが行く機会がありませんでした。今回は二週間前に公演のことを知り、その数日後に偶然、大学の恩師からお知らせをいただいたので、迷わず行くことにしました。 会場は東京・上野の国立博物館内。以前、川田知子さんの演奏を聴きに行った場所で、あそこで演劇? と不思議に思っていたら朗読劇だったわけです。 朗読劇と言ってもかなり動きがあるもの。オペラや歌舞伎といった様式的な演技をする舞台を多く観ている私の目には、小さな空間に大きな感情を表わす演技がとても新鮮でした。 『コルチャック先生』、これは一度は触れておかなくてはならないと思いつつ今迄きてしまっていました。
これが知られている、そして私も知っていたコルチャック先生の姿だ。今回の舞台ではナチスから子どもたちを守ろう、とか自分の身を犠牲にして、という部分よりも教育家としての優しい姿が心に残りました。加藤さんの笑顔が又、優しいのですね。最後のほうで弱いスポットになったときは、ヨーロッパ人の老紳士が立っているようにさえ見えました。
恐怖や孤独にふるえていた小さな子どもたちがいたことを。彼らの中でほんの一握りだけれど、暖かい愛情に包まれた幸せな子どもたちがいたことを。哀しみと、喜びをもって思い返してみる。
アンネのばら
[ 平和 ]
満開でした。 莟が少し、濃い色なのも、かわいらしい。 『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクの庭に咲いていたばらは、父親のオットー・フランクによって世界中に根付きました。 その地の一つ、杉並区立高井戸中学校(東京)まで、見に行きました。係りの生徒さんたちが世話をして、30年間大切に育てています。
胸が締め付けられるって、こういうこと
[ 平和 ]
(ジャケット:ビクター公式ページより)→ やっとのことで、手に入れました。 6月25日に吉永小百合さんによる朗読会がありました。別の予定があって私は行けなかった。ので、早くCDで聞きたかったのです。 ?いつもながら男鹿さんの絵はすばらしい。けれど海の絵を拝見するのは初めての気がします。冊子の裏表紙に描かれた波打ち際の風景は(残念ながらアップできませんが)、たぶんそこに人が住み始める前から、住んでからも、戦いの時も、今も変わっていないのだろうな、と想像させます。 ?朝、部屋を片付けながら一回目。玄関で靴を磨きながら二回目。そのどちらの時も、”あの”場面では手を止めずには居られませんでした。大事にしていた卵が命に変わる時。。。とてもとてもとても悲しくて、言葉ひとつひとつに動きを止めて聞き入ります。 ?どこかで書いたかもしれない、「人間以外にとっての戦争って?」 でも感じたこと。最近よく「他者に対する想像力の欠如」という言葉を耳にするけれど、果たして”他者”としてどこまで意識しているのかな? 「わすれていてごめんね」の夾竹桃たちだって、「ウミガメと少年」のウミガメだって、”自分”に対しては”他者”なんだよね。 ?自分の立場が変わってきたのを感じます。なんというか、"母"のような目でいろいろなものを見ることが多くなってきたような。私は母でもなくそんな予定もないのですが。まあ、これについてはまた別項目で書こうかな。とにかくこの物語を聞いていても、少年よりはウミガメの母親に感情移入したり。もしくは客観的に、つまり少年を見守っている気分で聞いていたり。 これまでの「第二楽章」に比べて当事者の言葉ではないことも、理由の一つかもしれません。 『第二楽章』・・・詳しくは2005年8月の記事へ。(http://d.hatena.ne.jp/ayameusui/20050806)
平和を考える人
[ 平和 ]
いきなり、大上段にかまえたタイトルになりました(朝っぱらから何を語るんだか)。 先日知り合った、大学に入ったばかりのお嬢さん。私が”それなりに”、曲がりなりにもヘイワというものを希求しているから、と頼ってくれました。 申し訳ないのです。私は、大層に平和を語れるわけではないのに。 戦争がなければいいの? 難民が故郷に帰れればいいの? 宗教対立がなくなればいいの? 領土が充分にあればいいの? そうじゃない、平和=平安なんだ。私が自信を持って言える信念のようなものは、それだけ。 真剣に、真剣に現実と向き合おうとしている彼女。どうか、つぶされる事なく、現実に悲観することなく、その情熱を貫いていって、と願う。
誰だかバレバレ
[ 平和 ]
今朝ワイドショーでやっていた、総選挙特集。 とある旧軍港にて「やっぱりこれから考えなくちゃいけないのは戦争と平和の問題とか・・・。」 ここにもいたか。戦争さえしなきゃいいんでしょ、という態度のおじさん・・・は失礼か。おにーさん???
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